又 ❝空・くう❞のお話

仏陀は当時の人々には理解できない事柄や、云うべきではない物事に対しての質問には明言しなかったと、これを「無記」というわけです。

なぜ無記なのかといいますと、後の時代になって仏陀が予見したといわれるマイトレーヤが現われて、無記になってポッカリと穴の空いている部分を埋めてくれるような答えを教えそれを世間に広めるという、そういったエロヒムのシナリオがあるわけです。

ですから、そのシナリオに乗っかって彼はあえて「無記」を示したということなんだと思いますよ。

そういったわけですから、例えば古い記録に「空・くう」といった言葉を使ったフレーズがいくつか残っていますが、数はまぁ少ないですけれどもね。

当時、仏陀は“空・くう”といった言葉を使っていたのは確かなようなんですね。有名な処では『スッタニパータ1119』に、ひとりの学生の質問に仏陀が答えた記述があります。

「・・つねによく気をつけ、“自我に固執”する見解をうち破って、世界を“空”なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう・・・」。

ご案内のように、空の意味というのは、原語・サンスクリットでは「シューニャ」で「空虚の、からっぽで何も無い」そういった意味なんですね。

数学で使う0・ゼロもインド人が最初だと言いますが、このゼロもシューニャというわけです。

そういった“0=無い”といった意味合いでもって「空・くう」を使って、仏陀はある学生の質問に答えているのがこの記事です。

まぁですから、たとえ仏陀が本当の「空・くう」つまり空=無限といった意味会いですね・・

この真意を知っていてこの場面において空・くうを使ったとしても、この場合の“空”はあくまでも方便としての空ですからね、原語・シューニャ「空っぽで何も無い」といった意味で訳されてもよろしいんですね。

しかし「世界は空虚だ、空っぽで何も無い・・」だけでは人間や宇宙のあり方を説明できませんから、どうしても「宇宙の無限性」を含んだ意味合いのにフレーズでもって補足しつつ受け答えをしなければいけないことになる。

そういった場合に、ご案内の「無常・無我・縁起」といったフレーズを使って、それらの質問に対処しなければいけないわけです。

例えば、上の記事では「世界を空と観なさい・・」と言っておきながらも、「自我による見解を打ちやぶって・・」といったように、“無我”を意味する内容のフレーズでもって答えているわけです。

無我という意味会いは、「他の存在の影響を受けないで存在して居るモノは無い。すべては変化しているので、永遠に変わらない神とか霊魂といったモノは無い。」といったようなニュアンスですね。

まぁこれを「無限」を使ってエロヒム的に言うならば「宇宙の時空は無限であって中心というものは無いゆえに、神や霊魂の存在というものは無い。

そして人間は無限の物質=“ちり”で出来ていて、その無限の物質との交換によって存在している・・」といった塩梅になるのかと思いますが・・。

そもそも仏教の無我といった概念は“無限”がベースになっているものから導いてきた一つの“知恵”ですからね。無我とは、つまり無限ゆえに「私・あなた」といった境界線が無いというわけですからね、

無限のレベルから観ると、私もあなたも他のあらゆる存在も所詮は無限の物質=“ちり”のかたまりですから、これは私のモノとかあなたの所有物だと、そういった話にはならないんですね。

「無我」だけではなくて、無限がベースになっているモノは他にもあって、例えば無所有とか無分別、無執着、三輪空寂とかね、そういったような仏教特有の知恵や価値観というものは無限から生まれてくるわけなんです。

「縁起」にしても、この意味は原因と結果の無限の循環と、単に個だけでは成り立たないといった無自性をあらわしているものですしね。

つまり、もう少し無限っぽく言うならば「物質には始めも終わりも無く、何も失われることも無く、何も創造されることも無く、形態だけが高度な知恵(科学)を持った人々によって変わっていく・・」ということです。

そして「無常」も、これはあらゆるものは一瞬たりとも同じという事はなく、常に変化しているといった意味でしょ。

こういった「縁起・無常・無我」といったものはすべて “無限”がベースになっているのであって、云うならば仏教版「無限の哲学」といってもいいものではないでしょうかね。

ですから、当時無我を使って述べたフレーズも、もしこの時代に仏陀が生きていて、誰かに『この世界について教えてください・・』と質問されたならば・・

おそらく仏陀曰く『・・いいかね、時間も空間も無限だということをしっかりと理解しなくてはいけない。

あらゆるモノは他のあらゆるモノの中に存在しているんだよ。今この瞬間にも君の腕のなかの細胞のひとつの原子のなかでは、神や霊魂の存在を信じる世界や信じない世界が何百万と生まれては死んでいっている・・

・・たとえ1000年という時の流れであっても太陽が一個の原子にすぎないような巨大な存在にとっては、それはたった一歩を踏み出す時間でしかないのだ。

宇宙のなかのすべてのモノは生きていて、しかも無限大および無限小と調和を保っている、これが真実の世界なんだよ。

それゆえ我々は無限とそれに仲間の人たちとも、調和を保って生きていかなくてはいけないのだ・・』といったように、“無限”を大いに使ったフレーズでもってこの世界について語ったのではないでしょうかね。

ここで一句

無我縁起 空のシッポが 見えかくれ