続々 ❝苦❞のお話

・・そもそも、空(無限)というモノのあり方・性格には、苦が無いんですね。なぜなら唯一、完璧無比・完全なるものは空・無限だけだからなんですね。 

それに比べ、欲望や感情を持ったを我々を含む他の知的生命は、つまり「無限の一部」は不完全であり、遺伝子レベルで苦・楽のシステムで動かされているゆえに常に満たされず不満を抱えていて、苦・楽を味わうようになっているわけですよ。

それ故、少しでも苦を無くしていくために、我々は知恵を使う必要があるというわけなんですね。これは無限の一部としての宿命だと思いますよ。

一片の子磁石が、親磁石に引き寄せられるように・・知恵を使いながら、不完全なる無限の一部は、完全なる無限にアプローチしていくようになっているんですよ。

まぁですから、知恵を大いに使って無限に近づけば近づくほど苦は無くなっていくといったアンバイ。

そのお手本に、ハイレベルな智恵によって不死を得たエロヒムは、限りなく“苦”が無い・・彼らは、限りなく“苦”からは遠い処に居るといってもイイのではないでしょうか。

しかし、どんなに無限に近づいたとしても 所詮、我々は無限の一部であって 決して無限ではないのね 。なぜなら我々は「無限」とは違って、生きているわけだし、意識も感情も欲望もあるわけでしょ?

まぁ生きている限り苦は付いてまわるわけなんだけれども、しかし無限から知恵を引き出して、それを生かして 限りなく苦を無くしていくことは我々でもできるわけだからね。そういった手立てを『空の知恵』というわけですよ。

その無限からの引き出しを例えて云うと、無限というものは境界線が無いわけでしょ。一切の境い目が無いために、まず自由だということ。この『自由』というモノが無限のあり方を最も特徴づけている、無限からの一番のエッセンス、空の知恵ではないだろうか?

例えば「何か」から縛られ、あるいは執着のようなものから解放され自由になった時の解放感はまた格別なものですよねぇ。我々はこの自由を感じている時が一番『幸せだなぁ~』と感じている時なのではないでしょうか。

無限には境界線が無いゆえに自由であって、そこには差別というものが無い。つまり自由においては、すべては『平等』だということ。ここで『自由・平等』といった価値観やコンセプトの大切さを我々は知るわけなんですね。

そしてこの自由な空間というのは、何の定まった制約や区別が無いわけだから、私のモノとか誰彼のモノとかいった分別が無いのね、『無分別』ということです。

ですから、そこには一切の所有が無いわけです、『無所有』ということ。こういった無分別・無所有という美しい知恵も知る。また、自由な空間というのは即『遊び』の空間になるのね。

この自由自在な遊びの空間から『ユーモア・笑い』、そしてあらゆるエンターテイメントが生まれる。このリラクゼーションが、我々の人生に潤いと喜びをもたらすわけでしょ。

さらに、我々に最も幸福を与えてくれる科学の眼にもなる『客観性』というものにスポットが当たる。エロヒムは、この科学的な『客観的な観察』によって無限を理解することができたわけだからね。

この客観性の追求という大いなる知恵によって、さらに無限に近づいていく、死が限りなく生に近づくわけ。この知恵を彼らは『科学』と云うわけです。

そこで、『不死』といった最高の知恵が実る。そして何より我々が一番必要とする“愛・慈悲”というモノにも無限のエッセンスを与えることができるわけなのね。『博愛』とか『慈悲喜捨』とかいうものがそうでしょ?

つまり、恋人や家族・国といった狭い枠を超えて、その愛・慈悲のエネルギーを外へ外へと、他の国の人々へと、他の惑星に住む人々へと・・etc・・限りなく無限へと拡げていけるものだからね。

これらはすべて、苦を離れて我々を幸福に導くための、無限からのプレゼント・・。空・くうの香りがする、美しい知恵というものだと思いますね・・。

ここで一句

慈悲と知恵 使って“苦”が消え 楽になり