又々 『八正道』のお話

・・八正道は①正見からはじまり、②正思、③正語、④正業,⑤正命、⑥正精進ときて、⑦正念、⑧正定となるわけです。だいたい⑥迄きましたので、⑦の正念は正しい「気づき、意識」⑧正定の正しい集中。この⑦⑧については、これも昔の書き留めたモノがありますので、その中からご案内したいと思います。・・

・・略・・『わたしは“チリ”である・・無限の一部である・・』ということを知ることで、あるいは『無常・無我・縁起・空・・etc、すべてを学びました・・』と言って、ヒトはまず哲学者になるわけです。

しかし、そういった大哲学者ではあっても、真理・真実を知ったその日から『一切の悩みや苦しみが無くなりました・・』というわけにはいかないんですね。哲学者には一日でなれるんですが、“謙虚”な人には中々なれるものではないんですね。

そもそも、謙虚さ・慈悲の心というのは時間をかけて育て作りあげていくものですから、哲学とか「正見」といったものを覚えるだけでは、単なる知識を記憶しましたというだけですからね。やはり種を蒔いたら芽が出て花が咲くまでにはそれなりの時間がかかるわけです。

それが身につくまでは育てていかなくてはいけないわけです。ですから、正見・無限の哲学を知ったならば、それを自分の体と心で“実感”する、つまり『瞑想』する必要があるわけです。

脳ミソに“ガツン”とインパクトを与えてDNAのプログラムに届くようにね、それを刻み込むわけですね彫刻のように・・。まぁ、仏教では脳ミソ=物質ですから(仏教では心は物質ではない)・・。脳やDNAと心とは別扱いですから(笑)、ここでは仏教的に脳ミソとは言わないで“心・こころ”と言いますが、とにかく瞑想しなければ心は成長しないんですね 。

何回も何回も瞑想して、“無限”を実感して、繰り返し繰り返し“無限”を意識する(仏教では“無限”が無常・無我にあたる)、そういった訓練をするわけですよ。そうやって、ラエリズム的に云うと脳ミソの中にある神経細胞の新しいバイパス作りですね、云わば「“無限”バイパス」を作っていくことになるわけです・・

・・我々の心の成長にとっては、哲学はとても大切なものなんですが、それだけでは駄目なんですね。ご案内のように、我々人間コンピュータ-をうまく機能させるためには哲学と、それを活かす為の慈悲(愛)のエネルギーと意識、この三点セットが組み合わさって、うまく力を発揮するわけですからね。

しかし、エロヒムも云っているように、残念ながら人間には始めからその慈悲(愛)のエネルギーなるものが不足しているわけです。ですから、生まれながらに謙虚なヒト、慈悲深いヒトというのは 世間には中々いないものでしょ。

おまけに、我々は日常であまり意識といった道具は使っていませんからね。体の筋肉を使っていない病人のように、意識の筋肉はとても弱いわけですよ。そこで、瞑想といった“訓錬”が必要になってくるんですね。「無限の実感」を繰り返しながら、「無限を意識」することを訓練するわけです

『瞑想とは、無限を感じる哲学である・・』というフレーズがありますが、全くその通りだと思いますね。何度も云いますが、「哲学・慈悲の心・意識」この三点セットは瞑想によって訓練して、育てていくものなんです。

そこで、『八正道』では、さいごのほうに「正念しょうねん」、「正定しょうじょう』といった仏教的瞑想のノウハウを表わす、この二つの大きなポイントが示されているわけなんですね。

まぁこれはご案内のように、仏教の瞑想と言えば代表は『禅』ですね。ここでは便宜上、『ヴィパッサナー』も禅の範疇に入れておきますが、ノウハウとしては「正念」・「正定」というのはいわゆる「止観」になるわけです。

“止”は「集中」で“観”は「観察の観」にあたるわけですから、大まかに言うと仏教の瞑想は「正念」=観察と「正定」=集中、この二つのテクニックを使った方法論に沿って進んでいくことになるわけです。

そして、この「集中・観察」といった処から観るならば、これはご案内の『官能瞑想』の基本的な技法にもリンクしているわけなんですね・・。

・・ご案内のように、エロヒムがラエル氏に伝授した『官能瞑想』にもあるように、現在の仏教に伝わっている瞑想法については、(当初“ヘビ”が仏陀に伝授したころの)オリジナルなかたちが、そのまま伝承されてきたというものではないわけです。

「仏陀から伝授されたものが弟子から弟子に伝わってきた、この3000年位のあいだで、非科学的な迷信・無知のために、大事な部分が抜け落ちたり、余計なものが付加されたりして、本来のエロヒムが意図した瞑想教育の成果が失われているのが現状・・」といったわけです。

まぁそれでも、仏教の重たい神秘のベールの影に隠れているものの中にも、人間の開花に必要なノウハウも伝えられてはいるわけで、その痕跡も今の“禅”のなかには無いわけではないと思うんですね・・。

・・まぁ“禅”に限らず世界中に瞑想法は無数にあるんですが、そもそも『瞑想』というものを人間に最初に教えたのはエロヒムですからね。

その時計屋が自分で作った時計をうまく動かす方法はその時計屋が一番よく知っているわけですし、しかもその彼らのノウハウがそっくりオリジナルのまま完璧に表現されているのは『官能瞑想』だけですから、瞑想の基本中の基本はこの中にあるといってもいいわけです。

ですから、仏陀が弟子に教えたといわれる“禅”の技法も、この『官能瞑想』の技法が基本になっていて当然なわけなんです。そういったポイントを含めて少し観ていきたいと思います・・つづく