PONさんへ:追記・・・何度もご案内のように、無限というのは人類が黄金文明を迎えようが、滅亡しようがそんなことはどうでもイイ・・我々に関心があるとか無いとか・・そういったような存在ではないというわけです。
無限は生きているというわけでも、死んでいるというわけでも無い。また、人間的な感情も欲望も意識も有るとか無いとかそういった存在でもない・・そのような摩訶不思議なるモノですからね。
しかし、そのような無限ではあっても確かに言えることは、エロヒムが教えるように無限は我々の生体組織と無限の‟チリ”による絶え間ない『無限との交換』によって我々の命を支えているだけでなく、他のすべての生命を支えているということですよ。
つまり、無限意識から観るならば・・我々は無限によって『限りなく無限に愛されている・・』ということじゃないですか、どうでしょう?このように思うのは私だけでしょうか・・この無限のエネルギーはあまりにも大きくて他の言葉で表現しようにも見当たらないので、仕方なく‟愛”という使い古したフレーズで言いましたが(笑)・・
何度も言うようですが、何らかの見返りを求めるといったことも無い、また何かを与える・支えているといった意識も無い・・そんな無限から、毎日我々も無限のエネルギー・‟チリ”で出来ている空気を吸って、水を飲んで、ご飯を頂いているわけでしょ・・こうやって、無限はひたすら謙虚に無限の中に存在するすべての生命を支えているんですよ・・
どうですか、このように健気(けなげ)で愛すべきツンデレな(笑)無限の素顔を知れば、『お陰様で、いつも大変お世話になっております・・』と、感謝とねぎらいの言葉のひとつも掛けたくなりませんかね?(笑)
まぁ、こういったような無限の真実の在り様からその本来の性格を読み取って、それを我々が幸福に生きるための知恵として日常の中で大いに使ってくださいと・・歴代の預言者を通してエロヒムからずーっと長い間、教えられてきたというわけですよ。
それは、イエスの言う見返りを求めない「無償の愛」であり、ご案内の仏陀の言う「三輪空寂」といったモノで・・これらは無限の在り方・性格から導いてきた知恵、つまり「空の知恵」でもご案内ですよね。
つまり、他の何モノかに何かを与える(布施)・プレゼントする場合には『誰かが・何モノかに・何かを与える』といったことにこだわらない・執着しない・・‟エゴ”から離れて、心の中を空っぽにして行う・・
無限というモノにはエゴが無いといった処にスポットを当てて・・我々も、その‟無限との交換”を見習って・・エゴから離れて、限りなく無限にアプローチした意識と慈悲・愛のエネルギーでもって、他の生き物や物事に接していきましょうね・・ということです。
例えば、これもよく使う譬えなんですが・・無限意識においては、他人も自分も人類といった大きな体の一部で、夫々がまぁ細胞みたいなものですから・・そのくらい自分と他の生命との間には境界線は無いし、自分以外の他のモノすべてとは隔たり・壁が無く、意識の上では繋がっている、一体化しているというわけですよ。
このような気持ちの上では、自分を愛することは他の生命を愛することだし、他の生命を愛することは自分を愛することと一緒・・といったアンバイになるわけですね。
そういった意識から、互いに助け合ったり協力するのは当たり前で自然な行為なので「自分の左腕がかゆい時に、その左腕を右腕が掻(か)いたとしても、左腕は右腕に別にありがとうとも言わないし、また右腕が俺が掻いてやったんだと偉そうに自慢しないでしょ・・」といったフレーズが使われたりもするんですね。
まぁですから、‟エゴ”から最も遠くに離れている無限・・その『無限の意識』のある処には、必ずそこでは『無限の慈悲・愛』のエネルギーが働いているということになるわけなんですね・・
無限意識を‟無限”の慈悲・愛と言ってもイイんですよ・・意識と慈悲・愛のエネルギーとはいつも一緒にコラボしながら働きますからね。
もちろん、無限には意識があるというわけではないし、人間のように慈悲とか愛と言った言葉も使わないし、またその行為は我々の目には、なかなか見えないんですけれどね。
しかし、これはエロヒムが教える正しい道を歩んでいくならば、瞑想あるいは日常のなかにおいても、その無限のエネルギーは誰でも実感できるモノではないでしょうかね。
こういった、限りなく無限にアプローチしたこの『無限意識』とも言うべき意識を、ラエリズムでいう処の‟超意識”と言ってもよろしいのではないかと思いますね、おなじですよ・・。
まぁそういったわけで、官能瞑想では無限になったり、無の瞑想では無になったり・・日常の色々な場面で、無限小から無限大まで無限意識のカメラでズームイン・ズームアウトしながら・・無限に愛されて幸福だなぁ~(笑)といった実感を大いに楽しもうではないですか。
そして願わくば、これからもエロヒムの‟見守りの心”と一緒になって・・やさしい感謝の気持ちで、毎日を平和に暮らしていきたいものだと、つくづく思う今日この頃であります・・。
ここで一句 エロヒムと 心は一つ 空になり
【8月6日:世界平和の記念日に寄せて・・】