西暦2025年。今年はめでたくも、十二年に一度の🐍・蛇年であります。そこで、蛇・‟ヘビ”つながりということもありまして・・
とりわけ蛇にご縁のあるルシファー、別名ムチャリンダ龍王とグループ‟ヘビ”の皆様に・・そして不死会議議長ヤーウェとサタン並びにエロヒムの皆様におかれましては、謹んで新年を迎える慶びと共に、日頃より変わらぬ見守りと無限の慈悲・愛のエネルギーを頂き、深く感謝申し上げます。
更に『メッセージ』等でご案内の、ヤーウェ・ルシファー・サタンのお三方は我々にとって馴染み深い方々ではありますが、お三方の他にも我が地球を「悟りの境地・科学の黄金文明」に導くため、陰ひなた無くご尽力くださっているすべての皆様におかれましても、心からの労いと感謝を申し上げる次第です。。
そこで新年に向けて、天に昇る龍の年は終わりましたので、今年は地を這う🐍・蛇の如く地道に活動する(笑)ことを念頭に置きまして・・地球を「悟りの境地」に導いていくといった壮大なこのドラマを、皆様とハッピーエンドで迎えることを願うばかりなんですが・・そのためには、もちろん知恵が必要になるわけです。
そして、いつも思うのはその知恵というモノが、なぜかこのエロヒムのお三方に重なって見えてくるんですね。つまり、その知恵というのは‟無限”の『➊哲学・➋愛・❸意識』のことなんですね。ご案内の科学の黄金文明、悟りの境地という名の楽園に至るために必要な‟知恵の三つ巴”ですよね。
この‟三つ巴”に敬愛すべきヤーウェ・ルシファー・サタンのお三方がリンクし、三者それぞれの立場・ 役回りを通して、我々を究極の知恵の世界へと教え導いてくれているように思えてならないわけです。
例えばヤーウェが‟意識”、ルシファーが‟愛”、そしてサタンが‟哲学”の担当・・といったような具合にですね。・・そして役回りとしては、ヤーウェはリーダーとしての執着の無い平等心とカリスマ性の高い意識を活かしたまとめ役。ルシファーは大いなる母性と慈悲・愛のエネルギーを持った人情深い善人役・・
そして、サタンは空・無限から導いた哲学と 強い意志を持った、生真面目で防衛本能が強い憎まれ役(笑)・・といったような役割の分担があって、劇中のキャスティングが組まれているようにですね。
まぁそこで、三者夫々が‟無限”の『哲学・愛・意識』といった三つの知恵の特色を出しながら、人類を悟りの境地へと導いていく・・このような筋書きでもって、宇宙を舞台にした壮大なる‟知恵の物語”が展開されていくといったアンバイになるわけですよね。
とにかく、地球がエロヒムの不死の惑星のような楽園にしていくためには、この『知恵の三つ巴』のどれ一つも欠けてはいけないわけですからね。人間が幸福に生きていくための、大事な三要素になっているわけですのでね・・。
特に、哲学者サタン(聖書名:仏典名はマーラ・波旬)に関して言いますと、ご案内のように彼は不死会議のメンバーの一人で、実際の仕事はエロヒムの惑星政府の野党派の先頭に立って、社会の秩序・平安を守っている立場のお方です。
更に『メッセージ』にあるように、彼は当初から人間の存在に対しては否定的な見解を持ってまして、更に地球の歴代の預言者を‟試す”といった厳しい姿勢で立ち回る役どころにもなっているわけですよ。
そこで彼は何を試すのかというと、その人間が時代の預言者にふさわしいかどうかを、色々な手段を用いて試す・・という事ことをするわけです。もちろん、過去には仏陀もイエスもこのサタンの試みに遭っています。
それについてはエロヒムの『メッセージ』に過去の預言者、ヨブやイエスまた近年ではラエル氏が試された時の内容が克明に描かれていますし、それはイエスの『福音書』や仏陀の『悪魔相応』あるいはゾロアスターの『アヴェスター』でもご案内です。
特に仏陀に関しては、悪魔・マーラにまつわる伝説がことのほか多く、『サンユッタ・ニカーヤ』の「悪魔相応」には二十五もまとめられていて、悪魔がそこでありとあらゆる手段を使って仏陀を誘惑しています。
例えば、エロヒムに対する忠誠心はもとより、心の隙間に入り込んで人間特有の物欲・生存欲・性欲・名誉欲、権力・社会的地位・名声・etc・・といった世間的な欲望を誘ったりエゴ・利己心を煽ったりしながら・・
快楽を求め苦を嫌って避けるといった、遺伝子レベルでの「快楽原則のシステム」で生きている我々人間の弱点・貪欲さを巧みに突いてアプローチしているんですね。
ゾロアスターや仏陀の場合もそうですが、やはり色欲を狙うのが常套手段ですよね。女性絡みの誘惑を仕掛け、忠誠心を試したりして何とか足元をすくってやりましょう・・といった処でしょうか。
またヨブへの試みを見て解かるように・・ヒトは試練を受けて精神的にあるいは肉体的に弱った時などは、誰でも落ち込んだりネガティブになったりするものですよ。
ですから、エロヒムに対して忠誠心が人一倍強いヨブであっても、サタンからの執拗な辛い試練に遭って・・彼自身、なぜこんな苦しみに逢わなくてはいけないんだとか、エロヒムはなぜ人間を創ったんだとか言って、創造者たちに訴えたりする気持ちを思うと本当に同情しますよね。
まぁとにかく、サタンは初めから地球での生命創造の実験は失敗であって、そもそも人間の存在じたいが悪であるという見解を持っているわけですからね。
そして、いつかは人間特有のエゴや攻撃心によって、地球が自己破滅に導くのではないかと昔から我々を疑って見ているわけです。ですから今でも、相変わらずその監視の目を厳しく光らしていると思いますよ。
そういったように、サタンは人間を監視したり預言者を試すといった処からみると、まぁどちらかというと彼は嫌われ役を演じているわけですよね。しかし、こういった場面はこの長い物語の重要なポイントになっている処ですし、彼の正当性と存在理由は、いささかも否定されるものではないわけです。
逆に歴代の預言者たちが試みを受ける事によって、我々は時代を超えて➊『無限の‟意識”』と➋『無限の‟慈悲・愛”のエネルギー』そして❸『空・無限の‟哲学”』・・この『知恵の三つ巴』を使うことの大切さがよく解かるわけですからね。
まぁですから、多くの人間たちに愛と慈悲そして良心や忍耐、また他の生命との調和の大切さを思い起こさせ・・勇気と意志を強化させるということにおいては、人類の成長のためにサタンは非常に重要な役割を担っているのではないかと思いますよね。
ただ、サタンの試み(こころみ)に関して教訓として言えることは、人間たちを攻撃して占領しようとする魔物は実際にはいないにしても、実は我々の心の中に巣くっている‟エゴや利己心”あるいは‟攻撃心”といった悪魔こそ、我々自身が対決すべき最も手ごわい相手だと知ることではないでしょうか。
そして大切なポイントは、悟りの境地に至るために最も必要な・・上記にもある『智恵の三つ巴』をしっかりと身に付けましょう・・という事を教えてくれている処ではないでしょうか。
とりもなおさずそれは、試されるのは預言者だけではなくて、我々一人一人の心がいつもサタンに試されている・・ということでもあると思いますよね。・・つづく
ここで一句
試される ヒトの心と 三つ巴
※ 追伸:Teaさんからの「無の瞑想のやり方を少し詳しく・・」の件なんですが、新しく投稿しませんので過去に投稿したアーカイブ2014年5月28日付「無の瞑想」等に、少し書き足しておきました・・御参照ください。