続 色即是空的こころ⓳

Teaさんからの『無限との交換』についての返信・・エロヒムが言うように、すべての生命というのは無限の物質・“チリ”とエネルギーによって成り立っているわけでしょ・・

つまり、「無限との交換」によって我々の生命が支えられているというわけです。別の言葉でいうと我々は無限の「慈悲・愛のエネルギー」に支られている・・無限に愛されていると言ってもイイのではないでしょうか?

例えば、地球上での一生を終えて死体になって焼かれてしまうと・・身体から出ていく目には見えないエネルギーは独自性を失なって無秩序に分散し、周りの空間内に漂っている他のエネルギーと混ざりあう。

そして何度も言うようですが、個性を持たない超微粒子である無限の“チリ”たちは、互いにくっ付いたり離れたりしながら・・土に返って植物や野菜の一部になったり、地球の水や空気などを構成したりする。そしてその“チリ”たちは、今度は他の色々な生命を支える番になるわけなんですね。

つまり、これを“無限との交換”というわけです。この生死を超えた永遠なる“チリ”の交換=『無限との交換』の繰り返しが、無限小から無限大の世界のなかで・・つまり、空・くうの中で永遠に行われているというわけなんです。

ですから、無限の“チリ”の塊である我々は生死を繰り返しながらも・・我々の目には見えないレベルで、『無限との交換』という営みによって“チリ”同士お互いに支えあい助け合い・・すがた形を変え続けて存在している、我々は云わば“無限・空くう”そのものなんですね。

無限の目線から(意識して)観るならば、すべての生命は同じ“チリ”で出来ているわけですからTeaさん、あなたと私は一緒・・あなたは私という“チリ”であり、私はあなたという“チリ”なんですよ。

おぼえてますか?ひと昔前に流行った曲で『千の風になって・・♬・』の歌詞にあったでしょ、まさにアレですよ・・。

『私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 千の風になって あの大きな“空”を 吹きわたっています。秋には光になって 畑にふりそそぐ。 冬にはダイヤのように きらめく雪になる。 朝は鳥になって あなたを目覚めさせる。 夜は星になって あなたを見守る。千の風になって あの大きな“空”を吹きわたっています・・』

どうでしょう、見事な無限チックなフレーズじゃないですか。まぁ試しに、このフレーズの中に出てくる“空”の文字を“そら”と読んだり“くう”と読んだりしてみてくださいよ(笑)。

私が亡くなったとしても、空・そらの中にでも、空気の中にでも、どこにでも居る・・“わたし”は空・くうの中に居るんですよ・・と言っているじゃないですか?

この歌が流行っていた当時を思い出しますと・・「私が亡くなってもお墓なんかには居ませんよ、色んな姿・形になって存在しているんですよ・・」といったこの歌は全国的にヒットしましたからね・・

この詩の影響があって、あの世なんか無いとか霊魂なんかも無いんだから墓参りなんかしなくてもイイんじゃないか・・等と、巷では色々と言ってましたよ(笑)。

おかげで墓が売れなくなったとか、葬式も減ってお寺の営業にも影響するとかね・・世間ではそういった話題で盛りあがっていたので、御記憶の向きもあるでしょう。

そんなわけですから、『無限との交換』つまり“無限の愛”を実感するというのも何も難しいモノではないんですね。誰でも毎日、水を飲んだりご飯を食べたり、瞑想したりしているわけですしね・・

例えば、のどが渇いて水をのむわけです。そこで、少しイメージを膨らませてみると・・水の成分はいったん体に入って渇きを癒したり汗としてして我々の生命を支える・・また、その水分は外に出て蒸発して雲になったり、あとで雨や雪になって降ってきて今度は植物などを支える・・

特に、瞑想している時なんかは・・体の細胞などを意識して酸素を採り入れ二酸化炭素を出しましょう、これが植物のエネルギーになって、そしてこの無限のエネルギーを細胞と、その中の銀河に住む人々にも届けましょう・・etc・・といった具合に、無限を意識しながら呼吸していますよね。

ちょっとだけイメージを広げて・・意識しながら、ひと呼吸してみてください。そうすると、いちど息を吸い込んだその瞬間・・無限大の世界から観るならば、超無限小の世界ではすでにその空気の微粒子のなかに存在する銀河は滅んで無くなっている・・そして、あなたが息を吐いたその時にはもう新しい銀河が生まれているんですね。

この空・くうの世界では、このたった一つの呼吸の間に、無数の世界が生まれ無数の世界が死んでいっているんですよ。我々はそういった広大無辺なる無限・空(くう)の世界に住んでいるんですね・・そして、その無限の宇宙は無限の“チリ”とエネルギーによって成り立っていて、そこに住むすべての生物を「無限との交換」によって支えているというわけです。

日常では、一滴の雨のしずくの中にも一粒のお米の中にも宇宙があって、その超無限小の銀河・惑星の中にも我々と同じような生命体が生きていて、我々と同じように笑ったり泣いたり愛し合ったりしてフツーに生きているんですよ・・そんなことは、多くのヒトはあまり意識して暮らしてはいないんですけどね。

しかし、我々は普段は何げなく呼吸していても、そういった無限・空の様子をエロヒムから教わってよく理解しているでしょ・・特に瞑想をしている時には、そういった無限の宇宙をイメージしながら意識して呼吸をしていますからね・・呼吸そのものが「無限との交換」といった無限のシステムを実感しやすいんですね。

そもそも空気というは無限のエネルギーのことじゃないですか。昔の人は“息”をするから“生き“ているんだ・・と言っていましたが、まったくその通りで我々は生きている間は暇なく息を吸って吐いてますからね。そもそも空気の空・くうは“無限”のことですし、昔から“エネルギー”のことを『気』と言っているでしょ・・元気があるとか弱気だなぁとか言ってね。

そういったわけで、日常でも瞑想でも呼吸をするのは一緒ですからね・・水を飲む時でもご飯を食べる時でもイイので、“気”が付いたら『あぁ、いま愛すべき無限の“チリ”さん(笑)たちが自分の体の中で“無限との交換”をしているんだ・・この命を支えてくれているんだなぁ~』と感じてみてください・・そうすると、これも立派な無限意識を使った瞑想をしている事になっているんじゃないかと思いますよ。

 

ここで一句    千の風 空から空・くうへ 空・くうの空

<四月の第一日曜日>                              エロヒムが地球の実験室にて、人類を創造した記念日に寄せて・・。