色即是空的こころ・・⓮

・・まぁよく考えてみますと、仏陀に質問した学生に限らず、“死”というのは我々にとって一大関心事であることには間違いないわけです。

遅かれ早かれすべての人間に“もれなく”やって来るわけでしょ。そして、有無を言わさず人生の最後の幕引きをしていく・・。

“死”といいますと、ご案内のように「生・老・病・死」の四苦で有名なんですが、この“苦”というのは、パーリ語でドゥッカ。

意味は、単に体が痛い、苦しいとか辛いというだけではなくて「この世の思うようにならないことすべて・・」を意味するわけです。

まぁですから、自分の身に引き当てて色々思い巡らしますと、生きること・老いること・病気になること、これらはすべて“苦”の側面を持っているわけでして、その中でも“死”は一番ガツンとくるモノではないでしょうかね・・

しかし将来、エロヒムの世界のように遺伝子レベルでもって簡単に難病治療や死後再生が可能になる時代が来れば、急に死がやって来てドアをノックした時にでも『いらっしゃいませ・・』といって歓迎できそうな気もするんですが(笑)、今の処はまだちょっと時間がかかりそうですからね。

そこでポイントとなるのは、いま我々はこの“死”をどのように理解していくのか、死とどう向かい合ってこれと折り合いをつけて生きていったらいいのか・・ということになるのではないでしょうか。

そういったわけですから、“死”は昔から仏教の一番のテーマになっているわけです。

たしかに、仏陀にしてみても彼の出家の動機というのは『人間はなぜ死ぬのだろうか・・』といった問いであったということですからね。

まぁ、仏教の出発点は“死”の解明であるならば、その道行は「不死を求めての旅」と言ってもいいのではないでしょうか。

まぁ、幸いにもその旅の途中に彼は“ヘビ”という名前の異星人エロヒムに遭遇し、彼らの惑星に連れていかれる。そして、そこの惑星つまりエロヒムの「不死の惑星」に四十九日間、居ることになるわけです。

そこで、“ヘビ”から様々な科学の奥義を伝授されて、彼が長年抱いていた“死”についての疑念を晴らしてもらうことなる。

更には、「不死の秘密」についても教えてもらい、ご案内のように彼自身も不死の権利を得て、死後の再生を約束されることになるわけです。

しかし、これはエロヒムも言っていることなんですが、仏陀が不死の権利を得て今も生きていようが、不死なる人々が現在までクローニングでもって生き続けていようが

これから先、永遠に“無限”に生きていけるわけではないんですね。「無限に不死ではない」という事なんですよ。彼らも我々と同じで、無限の一部にすぎないわけですからね。

たとえば何百億年か先に、この母なる銀河の寿命が尽きて壊滅してしまえば、そこに住む生命体が何万年生きていようが、やはり一緒に滅亡してしまうかもしれない・・

母体が死ぬと胎児も生きていけないようにね。どのような生命であってもいつかは(その生命の形として)滅亡する運命にあるわけで、一旦また“無限の一部(チリ)”に戻る。この無限の循環のなかに存在る・・

“空”の真理とはそういったものなんですね。生と死は、あくまでも無限にアプローチするための方便にすぎないわけですからね。

エロヒムがこの“空”を知ったのは、時期的には五、六千年位前の『ノアの洪水』あたりですから、そんなに古い話ではないわけです。

そして丁度この事件と同じころに、エロヒムは彼らを創造した親エロヒムの遺産を受け継ぐといった大きな出来事があったわけです。

そんな中、その遺産の中に“空”の真実があったわけなんですね。子が親の遺産を受け継いだというのは、本来ならば親が亡くなってからの話ですからね。

つまり‟空・くう”、この大いなる遺産の伝授があったということは、親エロヒムたちはすでに滅亡しているのか・・

まぁ、生と死の循環を超えてホントの空・くうに帰したのか・・あるいは何かの事情なのか(笑)・・ということを示唆しているわけです。

同じようにエロヒムにしても、将来彼らが滅亡する時のことを考えてくれていて

かつて親エロヒムがエロヒムにしてくれたように、彼らが受け継いだ他の多くの遺産は将来彼らに選ばれる子供たちに、すでに自動的に渡されるように準備しているということです・・。

このようにして、真理あるいは知恵のバトンというものは無限の時空のなかで受け継がれてきたわけだし、これからも限りなく続いていくわけです。

そこで、再び“空”の真実を云うならば『・・永遠に完全無比、不死なるもの、不生不滅なるものは“空”つまり“無限”という存在だけなのであって

ほかのあらゆる存在は“無限の一部”として生死を繰り返し、生成と滅亡を繰り返し、永遠に変化しながら無限に存在し続ける・・』

ここで一句

エロヒムに すでにいただく 遺産は“空”