再『無の瞑想』のお話・・

・・Teaさんからの‟雑念”に関する件について・・以前に、「無の瞑想」というのは『自分の心の悪いクセをなおすのには最適だ・・』といったお話をしました。そして、なぜ悪いクセが治らないのかというと、治そうという気持ちが無いというのは別にして(笑)、悪いプログラムを相変わらず日常で使っているからでしょう・・ということでした。

そこで、エロヒムが教える『官能瞑想』のシステムでは、人間の心を治す最も善い治療法というのは簡単に云うと、今まで使っていた『悪いプログラムを善いプログラムに入れ替える』そういった‟自己プログラミング”が一番ですよということになるんですね。

まぁですから、そういったプログラム=クセの交換をスムーズに行うために、むやみに反応しない訓練の一つとして、ご案内の「無の瞑想」がイイですよ・・とお話をしたわけです。そこで、仏教ではそういった悪いプログラムを色づけているモノを三毒と云って三つのジャンルに分けて、これを「貪とん(むさぼり)・瞋じん(怒り)・痴ち(真理を知らない)」でご案内です。

例えば、この「貪・瞋・痴」で有名な処としては、おなじみの嫉妬グセ・落ち込みグセ・所有グセ・支配・後悔・傲慢・・etc・・といったモノですね。日常のなかで、そういった悪いクセを使わないようにする=非プログラミング。そして、それと並行して今度は善い心のクセ=プログラムを入れていきましょう(再プログラミング)ということになるわけです。

再プログラミングでは、これも仏教ではおなじみの四無量心「慈じ(いつくしみ・フレンドリーな愛)・悲ひ(同情心)・喜き(思いやり)・捨しゃ(客観視・平等観)・・etc・・」や「空・くうの知恵」に色付けされたモノ、色々ありましたね。例えば、無常(変化)・無我(私は無限の一部)、自由、平等、無差別、無所有・無分別・・etc・・。そういった‟知恵”を覚えて脳みそに定着していくということ。

そこで、そういった善きプログラムをうまく脳みそに定着させるために、今まで雑然と動いていた脳の働きを意識的に制御していく必要があるわけです。捨てるところは捨てて、残すところは残し、増やすところは増やしていく。云わば脳みそのデフラグですね。デフラグで空いた処に、善きプログラムが収まるようになるわけです・・

ですから「無の瞑想」では、気づきとか観察とか洞察とかそういった『意識の道具』と『慈悲のエネルギー』を使うわけですね。そして日常のなかでも意識を使って、今までのプログラムを使わない、むやみに反応しないとか、やり過ごすとか、あるいは慈悲のエネルギーでもって受け入れるとか、許すとか認める・・etc・・そういった技を使って対処していくわけです。

もちろん瞑想中に今まで日常で使ってきたプログロムの断片も、雑念というカタチでもって色々と出てくるんですね。まぁ、云わば脳みその洗濯・掃除あるいは棚卸しをしているみたいなモノですからね。脳のなかは結構いそがしく大変な状態だと思いますよ。『解っちゃいるけど、やめられないのよねぇ~』といったアンバイで、古いプログラム=クセ・反応の逆襲もあったりもするわけですからね(笑)。

まぁ、「無の瞑想」には雑念は付きものですからね。頭を使っている以上は、雑念の姿かたちは変わっても死ぬまで出てくるモノだと思いますよ。世間では新しい考え方や概念が日々生まれて、外からはいろんな情報がはいってきますしね。脳みその情報処理やアップデートも大変だと思いますよ。そりゃあ、使い古しのゴミや垢(あか)も出ますよね(笑)。何十年も「無の瞑想」をやってます・・といっても、雑念は出てくるものです。

特に、やり始めのころは意気込みが強いものですから、雑念は非常に気になって邪魔くさいモノだと思ってしまうんですね。家の掃除をするにしても、最初は大きなゴミが目立つでしょ。しかし、部屋を綺麗にするには、まずそこから始めなくてはいけない。細部の掃除も終えて部屋がスッキリと綺麗になると、気持ちがさっぱりとしてイイものでしょ。

こういった細かい作業もあることから、ホントは気持ちがイイはずの「無の瞑想」も意外と『手間ひまがかかるわぁ~』といったアンバイになるわけです。ですから、日々の瞑想や日常のなかで飽きずに意識の道具をおおいに使って、この三毒(貪・瞋・痴)の整理整頓をしながら『三昧ざんまいとは(三つのくらやみ・三毒)=悪いモノをくらます、つまり無くしていくことをやって、ようやくホントの三昧・ざんまい・サマディーの境地に至る・・』と先達たちは言ったわけです。

そういったわけで、こういったような色んな道筋を経て、悪いクセが段々と治ってイイクセがついてくるんですね。そうなって日常が変化していくと雑念じたいも変化するし、雑念が起きてもそれを嫌がらずに、しっかり向き合うことが出来るようになるんですね・・トライ&エラーしながらですよ。そうこうしていくうちに、この「無の瞑想」もまた面白いモノになってくるんですね。

まぁ、ですから雑念というのも、ちゃんと脳みそが働いて掃除してくれているからこそ出てくるんだ・・といった‟おおらかな”気持ちで、まずは取り組まれたらイイかと思います。

追伸・・・日常での意識的な非・再プログラム化の実践もこのまま続けてやっていくのもよろしいかと思いますが、実際に「無の瞑想」を始める体勢が整ったら、自分の言葉で直接意識的にプログラミングしてみてはいかがでしょうか。

やり方としては、まずいくつかの『慈悲・愛のエネルギーと無限』に関するフレーズをあらかじめ用意しておいて、それらを意識的(無言の言葉でもって)に心の奥まで届くように言う、しっかりプログラミングするんですね。ガツンと脳みそに刻み込む・・瞑想に入る前あるいは後にやるわけです。

例えば、『私が苦しまないように・・悩まないように・・幸福であるように・・。すべての生命が苦しまないように・・これから生まれてくる生命が悩まないように、苦しまないように・・』または『他の惑星に住むすべての生命も幸福であるように・・無限に大きな生命も、無限に小さな生命も苦しまないよう、悩まないように幸福であるように・・etc・・』とか。特に、心に引っかかるヒトが在れば『○○さんが悩まないように・・苦しまないように・・幸福でありますように・・(以上、慈悲・愛に関するモノ)』といったようにですね・・それと

『私が余計なことを考えないように・・私が怒りの感情を使わないように・・私が欲望に振り回されないように・・etc・・(貪・瞋・痴に関するモノ)』とか。または『私は無限から来た無限の一部です・・そして、私は再び無限に還ります・・私の心も体も、世の中のすべては無限からの借り物です・・etc・・(無限に関するモノ)』『世の中は すべて借り物 他人事・・』といったモノでもイイですからね。

こういった‟慈悲と無限のエネルギー”に満たされたフレーズを、自作でも何でもイイんですが自分なりに気に入ったモノをピックアップして使うわけです(慈悲・愛の気持ちがこもったフレーズが雑念には特に効果的)・・。このようにして根気強く続けていくうちに『無限カラーと慈悲のエネルギー』で色付けされたプログラム化が進み、同時に非プログラム化もできてくるので、段々と雑念に対しても適切な観察も出来て、それなりに手放し・見送りも出来るようにもなります。

「無の瞑想」での大切なポイントというのは、単に『無心になる・・石のようになる・・』といったテクニック云々というものだけでなく、非・再プログラミング(慈悲・無限)がとても大切になるものですからね。もし石のようになるのでしたら、‟イイ気持ちの石”で居るのがおすすめかと思います(笑)、瞑想は苦行ではないですからね。無限を実感するための『官能瞑想』も一緒にやりながら、すこし続けてやってみてください。

ここで一句

雑念も 垢も身のうち 空のうち