続 色即是空的こころ・・⓫

・・PONさんへ、『無限意識』のあれこれについて・・ 
『般若心経』の一節に「不生不滅・・是故空中・・乃至無意識界・・」といったフレーズがあるんですね。これは「・・空(くう)、つまり無限は生きているとか死んでいるという存在ではない。それゆえ、意識があるとか無いとかというものではないのである・・」。

まぁ何度もご案内のように、無限というのは生も死も意識も、在るとか無いとか・・そういった存在ではないので、我々が幸福に生きようが滅亡しようが全く関心がないわけです。

もちろん、どんなに待っていても我々に無限からのアプローチはありません。ですから、無限にとっては意識とか愛なんてものはどうでもいいわけですよ。

このような無限をヒトの人格のようなモノに見立てるならば、無限というのは何て薄情で愚かなモノなんだろうと思いますが、あいにく無限は人間というわけではないですからね(笑)。

これが、無限といった存在の‟ありのまま”の姿なんですね。どうでしょうか・・こんな無限をあなたは愛せますか?

しかし、そんな不可解で得体の知れない存在に対して果敢にアプローチした人々もいたのでしょうね。無限行き乗り放題「片思いの切符」を買って、一方通行・終着駅の無い路線に乗って(笑)・・飽くなき探求と果てしない放浪をしたあげく・・

ついには、無限に出会い、めでたく無限と一つ・・すべては無限・空だと悟った・・そういった当初からの想いを成就させた先人たちが、この無限の時空の中に存在たということです。まぁそのおかげで、いま我々は彼らが知り得た限りの無限の姿をエロヒムから教えてもらい、無限と我々との深い関係も知ったわけです。

つまり、人間は無限から創られ、無限の中で生き、無限に還っていくということ。云わば無限が親であるならば、我々はその無限の一部・分身・子供みたいなモノだった・・いや、自分は無限そのもの空なんだということですね。
 
そういった摩訶不思議な無限の在り方・性格もふくめた宇宙の真実をエロヒムから教わり、そのエロヒムも親エロヒムから教わり、更にまた・・∞・・といったぐあいに、無限の系譜のなかで空の伝承がなされてきたわけです。

そして、その果てなき伝承のなかで先人たちは、無限から借りてきた哲学や知恵の恩恵を受けながら、歴代の預言者を通して我々に伝えられたそれらの知恵は、人々がより幸福に生きるために今も大いに使われているわけです。

それはイエスの云う「無償の愛」あるいは仏陀の説く「無我・無常」、さらに三輪空寂といった「空の知恵」などでご案内です。そして、この知恵というのは、エロヒムが時代の預言書を通して教えてくれた瞑想といったシステムのなかで、「無限の哲学と愛・慈悲のエネルギーと意識」この三つ巴の訓練によって身に付くということでした。これについては「観照の作法」として、ご案内のとおりです(アーカイブ『観照』・『八正道』などを参照)。

さらに、この「観照の作法」というのは近年、エロヒムから渡された無限を実感することに特化したシステム『官能瞑想』を実践することで完成することになるわけです。その結果、我々はその無限の中に居てその中に居るすべての存在は、切れ目なく同じモノで無限とつながっているのを実感として知ることになる。
 
つまり、無限にとってはどうでもイイような(笑)我々の意識は、宇宙に遍在するすべての「意識と愛・慈悲のエネルギー」と同じモノでつながっているということ・・我々はエロヒムと一緒の、無限とつながった意識、そういった普遍的な意識・・云わば『無限意識』とでも言いますか・・それを理解するわけですよ。

そこで、我々は無限から一番離れている‟わたし”の周辺しか見ることが出来ない、利己的なエゴ目線ではなく、その無限意識の視点・・限りなくエロヒムに近い目線から観る知恵を知る。

そして、エロヒムと同じ無限意識によって世界を観る大切さと共に、彼らと同じ意識で観ることで彼らとつながっている快楽、幸福を我々は実感することになるわけなんですね・・。

・・追記・・「エゴが無い」目線といえば、こないだテレビの中で元宇宙飛行士が宇宙で体験した感想を話していたんですね。それによると「宇宙から地球を見ていると、ヒトが色んな規則に縛られていることがよく解かった・・」と言うわけです。

つまり「それは、ヒトを地球の地面に押さえつけている重力のせいじゃないかと・・その重力が意識さえも地球の地面に押さえつけているんではないかと・・ふっと思った・・」と。そういった宇宙の無重力での興味深い体験を語っていたんですね。

まぁ、確かに彼にしてみれば地球の重力から影響を受けない、しかも‟わたし”からは最も遠くにある場所・・暗闇の無限空間に放り出されたわけですからね。

思うに、そういった無重力の場所に自分が置かれて、何か得体の知れない‟永遠なるモノ”を感じ、そこで自分の意識にガツンと強いインパクトがあったんではないでしょうか。

そこで思わず、ブラックホールに飲み込まれた小舟のように消えてしまった‟わたし”・・地球に居た時には「私は・・俺は・・」言って、いつも自己主張していたそんな私の居場所すら無い・・言い知れぬ喪失感と共に妙な爽快感を味わいつつも、自分は何てちっぽけで存在なんだと思い知らされた・・そんな気がしますよね。
 
まぁ一瞬、今まで見ていた目線では無いそこから遠く離れた別の視点から物事が見えた・・そこで我に返ってみると、抱えていた悩みなんかはあまりにも些細な事にみえて、ついでに心中にあった様々な‟しがらみ”なんかも泡のように無くなってしまう・・といったアンバイですかね。

たしかに、宇宙飛行士が宇宙で感動的な体験をして地球に戻ったあとに、それまでの生き方や価値観がコロッと変わって、宗教の道に入って慈善活動に励んだり、冥想家になって山に引きこもったといった話も聞きますものね。

実際我々でも、たまに高い山のてっぺんに登って、広い水平線に真っ赤な太陽が沈んでいくのを眺めたりした時・・。あるいは散歩の途中、道の端っこにポツンと咲く名前も知らない小さな花に出会った瞬間・・何か時間が止まった空間に溶け込んでしまったような不思議な一体感を感じ、しばらく‟思考停止”・・そして後で気が付けば、モヤっとしていたモノが吹っ切れてどこかに飛んで行った・・etc・・

そんな経験が一度や二度あるんではないでしょうか。まぁ、その時も‟我を忘れた”おかげで、日常ではあまり出番がない『無限意識』のカメラが自然に動いたのかもしれないですよね。

そういったわけで、我々も日常で様々な問題に直面して色々と考えたり悩んだりした時には、どうでしょうか?今度はカメラ目線を意識して・・(笑)、無限意識からの目線にピントを合わせて世の中を観てみるのも如何なモノではないでしょうか・・立ち止まって、‟客観的”スイッチを入れるだけでイイわけですからね。

あえて大気圏外に行かなくても、地球の重力なんかでは全く影響を受けないカメラをズームイン&アウトをしながら・・世間の‟しがらみ”や日頃のモヤモヤに対処していければ、まぁ少しは気持ちも楽になるのではないかと(笑)・・・そんな思いにふける今日この頃であります。

ここで一句

エゴも苦も スイッチ押して 成仏し

{8月6日:エロヒムの記念日に寄せて}