ご案内のように、かつて仏陀がエロヒムの「不死の惑星」に49日のあいだ居たわけですが、そこで仏陀が見た彼らの住む世界が『幸あるところ』として「浄土三部経」にも書かれていますね。
その中で、彼はこのように述べているわけです・・『・・シャーリプトラよ・・そこは、すべてが満たされているので、人は“所有する”という気持ちが起きないのだ・・』。
・・なぜエロヒムは「無所有」なのかというと、単純に所有する社会より所有しないシステムの社会のほうが本来、人間にとっては幸福だからなのではないでしょうか。
まぁたしかに、我々は有史以来彼らのように所有欲を使わないで済む「無所有文化」のなかで暮らしたことはないですからね。
その良さは・・と云われても、イメージに頼るしかないのですが、当時の仏陀にしてもガチガチの「所有文化」の地球からやってきたわけですからね。
その仏陀が実際に人々が所有しないで幸福に暮らしている彼らの社会を見学して,そこを『幸あるところ』と称賛しているのは、この“所有しようと思わせない”そういった社会にかなり強いインパクトを受けたからではないでしょうか。
そこで何度も言いますが、「無所有」といった考え方・哲学はどこから来るのかといいますと、それはすでに空の知恵でご案内なのですが、“空・無限”の性格・性質・特徴から来るわけです。
まぁ、それを幸福に生きるための知恵として、先人たちが無限の過去から使ってきたわけで、エロヒムもまた彼ら先人たちが使っていたその知恵を彼らの社会のシステムに取り入れたわけです。
そこで何度かご案内した「空の知恵」と云ったモノを説明してみますと・・“空・無限”の性質においては、何かと何かを仕切るものは無い、境界線も無い、壁も無いわけです。
無限がゆえに境目が無いので、例えば国同士を分ける国境線といったモノも無いわけです。仕切りも分別も無いゆえに自由ということです。ですから、そこに何かが在るとすれば、その在るモノは誰もが自由に使ってイイわけです。
誰もが自由に使えるがゆえに、何かを所有する必要はないわけですね。また所有しないので、どのようなモノであっても皆で平等に分かち合えばイイわけですからね。
ここで、「国境線が無い、自由、平等・・」といった知恵にスポットが当たり、それが我々の幸福な社会づくりに役立つわけです。
さらに、所有しないので所有制度も無い。所有制度が無いので貨幣制度も無い。貨幣制度が無いのでカネが要らない。それゆえカネで苦しむこともない・・etc・・。
そういったわけですから、『無所有』といった考え方・哲学を社会のシステムに取り入れると、余計な執着をしなくていいわけだから・・人間同士が争う理由も無くなるだろうし、国同士の戦争も起こらない。誰もが仲良く平和に、幸福に暮らせますよ・・ということです。
まぁしかし、『無所有』という考え方・哲学だけではホントの知恵にはならないのですね。哲学だけではなく、『慈悲・愛』といったエネルギーでもって、その『無所有』といった考え方を動かしていかなくてはいけないわけです。
このような世界は個々にエゴを出して独り占めしたりしないで、あるものは全て、人々が互いに共有して使う、少ないものでも分かち合う、これはそういったビジョンなわけですからね。
ですから基本的には、仏教で云う処の「慈・悲・喜・捨」=四無量心といった心もようを作っていくエネルギーを使わなければ成り立たないわけです。
これをあえて『慈悲・愛のエネルギー』と云いましたが、こういったヒトの善き心を作るエネルギーを今度は社会を作る時にも使っていきましょうということなんですね。
ですから、順番としてはまず個々に「観照の作法」を身に着けて、「理解しましょう、受け入れましょう、許しましょう」といった柔軟な心を作るということから始まるわけです。
そこから今度はその「慈悲・愛」のエネルギーを集結させて、所有欲を使わないで済む社会システムを作り上げていく、そういった処がポイントになってくるんだと思いますよ。
こういったアンバイで、“ヘビ”は仏陀に彼らの「幸あるところ」を見せて、「無所有」と「慈悲・愛のエネルギー」の大切さを教えると共に、「観照の作法」の源流である『八正道』を伝授したのではないかと思うわけです。
この「八正道」は人間の知恵の成長にとっては、うまく構成されたシステムになっているんですね。
そこで、いつか人間の知恵が熟してくるようになりますと、当初の“ヘビ”の“もくろみ”通り、地球での暮らしもエロヒムの社会レベルにかなり近づいてくるという事になるのではないでしょうか。
そして地球の科学がさらに進むと、今まで人間がやってきた大部分の仕事はロボットがするようになるでしょうから、飯を食うため、家族を養うために「カネを稼ぐ」といった従来の「仕事・働く」という考え方が根本的に今までの常識とは違ったモノになるわけでしょ。
つまり、ロボットがする仕事・労働以外は個人的趣味の労働か、あるいは幸福なる社会を維持するための管理業務のような仕事、ヒトはそういった頭脳労働をするしかなくなる。
もちろんすべては無償労働ですから、いわゆるボランティアといったところでしょうか。 ちなみに、エロヒムの社会ではこのような価値あるボランティア業務は特別に選ばれた人間だけがする仕事になっているということですから、
やはりどの世界でも社会のシステムを管理し、そこに住む人間の幸福を守る仕事というものが、一番高尚で価値ある労働ということになるのでしょう。
そうなりますと、人間が働かなくても生きていけるような社会のシステムでは、我々人間の思考や欲求を動かす“心のエネルギー”なるモノは、おそらく自己だけの満足を満たす、そういった小さな快楽を超えるようになってくる。
云うならば、個々の“エゴ”・エネルギーから“慈悲・愛”エネルギーへの方向転換といったモノでしょうか。自己保存のための欲求・快楽が十分満たされると、自然とそれが自分以外に溢れ出ていく・・。
自分の快楽を満たす欲求があるレベルまで満たされてしまうと、そのエネルギーが他の人間の幸福へと、社会レベルの幸福を満たす方向へと、外へ外へと向かって行くといったアンバイ・・
・・そこでは自分の幸せも他人の幸せも一緒・・他人の幸せは社会の幸せ・・社会の幸せは全宇宙の幸せ・・全宇宙の幸せは・・∞・・と妄想は果てしなく続いて・・はたして最後はどこまでいくのでしょうか?
ここで一句
幸の素(もと) 授けた“ヘビ”の 親心