又 ❝知恵❞のお話

 

・・略・・そうですね、無限を意識することがとても大切なんですよ。しかし、『無限』という存在はいつも身近にあるんですが、意識しないとつまり“実感”しないと、途方もなく遠い存在になってしまって、とても理解することは難し・・そんな摩訶不思議なる存在なんですね。

ですから無限へのアプローチというのは、我々の知恵を支えている“意識”によってアプローチしていこうというわけです。

ご案内のように意識というものは、手足の筋肉と一緒で訓錬によって、それを使うことによって成長するわけですからね。まぁ、我々は色んな瞑想を実践して、その筋肉を自然に鍛えているわけです。

そうやって、その意識の筋肉を鍛えるということで、“わたし・我”=エゴのまわりでしか活動していない意識の目を、そこからもっと外の方に向けさせるということになるわけなんですね。

我々の意識は、何も訓練しないで使わないで放っておくと、“わたし”のところで固まってしまうんです。いわゆる自我意識ですね。これはその部分だけでしか意識が活動しませんから、その意識のレベルはとても低いレベルで活動範囲が狭いですからね。

云わばベッドで寝ている病人みたいなもので、筋肉をあまり使わないのでかなり弱っているんですね。ですから瞑想によって、その筋肉を徐々に鍛えていく必要があるというわけなんです。

まぁ、そのためにはその意識を効果的に鍛えていくノウハウが大切になるわけなんですが、このノウハウをエロヒムはひとつの『瞑想システム』として教えてくれているわけなんですね。これは『官能瞑想』といったシステムでご案内です。

このシステムの基本的なコンセプトは、“苦”ではなく“(快)楽”なんですね。つまり、これは我々の遺伝子レベルで始めからプログラミングされている『快楽原則』のシステムを応用したやり方で、人間の快楽指向の本質を捉えて、うまく構成された瞑想システムになっているんですね。

これを簡単にいうと、何も難しいことではなくて『気持ちよくやりましょう・・』ということなんですね。我々の意識というものは喜び・幸福感、そういった快楽を味わうことによって成長していくことを彼らはよく知っていますからね。

その(快)楽・幸福感を充分感じさせて、人間の意識を成長させていきましょうということなんですね。決して“苦”を味わうということではないわけです。

ご案内のように、“苦”というのは、機能としては云わば意識へのシグナルですからね。心身の痛み・苦しみ・悩みを感じている時に、自分の意識をそこに持っていかせるように、気づかせるために在るようなものなんですよ。

苦に対しては、「知恵を使って、それを何とか対処しなさい!・・」と、そういったシグナルだということなんです。ですから、大切なことは苦はシグナルとしておいて、苦は長く感じる必要はないということなんですね。

“苦”を長く味わうということは、意識の発達には逆効果なんです。余計な苦は人間をエゴイストにしてしまうんですよ・・。・・余計な苦を長く味わうということは、意識の成長にとっては良くないことなんです。

例えば、極端なハナシ自分のお腹が痛くて、七転八倒している時に、世界平和がどうだとか どこかの国の子供たちの飢餓問題が心配だとか、そんなことには気が向かないでしょ?(笑)。いま、ヒト様のことなんかは『どうでもイイでしょ・・』ということですよ。

“わたし”のお腹の痛み、この“わたし”の苦しみを何とかしたいということで「わたし、わたし・・」で精一杯ですからね。遺伝子レベルのシステムによって、どうしても身を守る、保身に走ってしまう。とてもヒト様のことまで気がまわらない。ですからそういった意味で、『苦は、人間をエゴイストにさせる・・』ということなんですね・・。

ご案内のように、我々の日常は四苦八苦、苦の海ですよ。とはいっても、その苦にしても自分さえよければイイといったエゴ的な貪欲さ、そしてコントロールできない無秩序な怒りの感情・・etc・・そういったもので、夫々が自ら苦を作っているんです。

我々はいつでもそういった苦にさらされていますから、云うならば、人間はすべからくエゴイストになってあたりまえなんですね。『苦がエゴイストを作り、エゴイストが苦を作る・・鶏と卵がどっちが先か?みたいなものですよ(笑)・・』、悪循環なんですね・・。

まぁですから、我々はエロヒムが教えてくれた瞑想のシステムを実践するということが大切になるというわけなんですね。そこで意識を鍛えて、無限を意識できるようになるわけですからね・・超意識のレベルまでね・・エゴから無限への意識の成長ですよ・・。

この鍛えられた意識が無限の哲学、あるいは自分以外の生命に対しての慈悲(愛)のエネルギーとくっ付いて、知恵をうまく引き出して、働かせてくれるのではないかと思いますよ。

そして、その意識を効果的に成長させるのは“苦”ではなくて、喜び・幸福感を“実感”するということなんですね。苦よりも(快)楽が“わたし・我”=エゴから意識を無限に向けさせてくれるわけですよ・・。

これが、やはり一番のポイントになるのではないでしょうか。『楽しくて 我・われを忘れる・・』といったフレーズを我々はよく使うでしょ(笑)・・。

楽しいから、幸福だからこそ、我(わたし)を忘れることができるんですよ。反対に、苦しくて・痛みを感じて、そこで『我・われにかえる・・』のではないでしょうかね・・つづく