色即是空的こころ・・❷

・・そもそも『観照の作法』というのは、どのようなモノなのか・・いったいどこから来たのか・・そういった処を少しお話したいと思うんですね。

・・遠い昔、“ヘビ”たちは惑星政府の意向に逆らって人間たちを救い保護したために地球に追放されたわけです。まぁそこで、この地球で暮らすことになった経緯については、すでに『エロヒムのメッセージ』などでご案内だと思います。

本来ならば、何の不自由もない「不死の惑星」で幸福に暮らしているはずの“ヘビ”が、彼らの惑星とはまったく文明のかけ離れたこの原始的な惑星で暮らすように命じられたわけですからね。

そこで、政府の監視のもと、この不自由な地球でこれから先どのように暮らしていけばイイのかというが、フツーの人間であればまずそこが一番の問題となる処ではないでしょうか。

まぁ当時の彼らの不自由さを思うと、いま東京とかニューヨークで快適なマンション暮らしをしている人間が突然アマゾンの奥地に放り投げられて、「ずっと、ここで生活してください・・」と言われるようなモノではないでしょうかね。

まぁしかし、とりあえずはこの場所で生きていくしかないわけですからね。こういった状況を彼らはどのように受け止めたのかは興味のある処なんですが・・

このように当時“ヘビ”が置かれた状況を自分の身に引き当てながら思い巡らしますと、なぜか子供のころ映画館で観た時代劇のストーリーを思い出すんですね。

・・つまり、ある国の殿様が世継ぎの件で争い事に巻き込まれた末、お城のゴタゴタに嫌気がさしながらも、半ば追い出されるようにして城を出て、近くの町に住みついてしまう・・。

・・このように物語は展開していくわけで・・毎日お城で何不自由のないような暮らしをしている人間が 、急に外に放り出され城での贅沢な暮らしとのギャップで、困り果て悲観にくれているのではないかと思いきや、かえって水を得た魚のように、その日暮らしの町人たちとワイワイと楽しくやっているわけですよ。

その時の殿様は自分の地位・財産も家族もすべて失くしてしまって、他人から見るとまるっきり不幸のどん底にいるように思うのかもしれませんが、本人は始めから何かを所有しているといった意識は無いものですから、何かを失ったといったような気持ちも無いんですね。

その“無所有”の快楽ゆえに、別に何かに執着するわけでもなく気楽で自由な心持ちだから、あれこれ欲しがることもなく、悲観もなく、怒る理由もなく、イライラすることもない。

まぁ、コレがだめ、アレが嫌いといった偉いヒト特有の“わがまま”も無いおかげで、今夜フレンチでも食べようかと思って財布の中身を見たら小銭しかなかった・・それなら豆腐か納豆でも買って、おおいに糸でもひかせて美味しく食べて楽しもうってアンバイ・・。

まぁ、綺麗な装飾が施された服を着て、宝石が付いた靴を履く喜びもあるけれど、人目を気にせず裸でいる快適さ、裸足で草むらを歩く快楽もまたあるわけですからね。

逆にそれはお城のなかでは決して味わうことができない、“いま・ここ”でしか味わえないものだからと・・そんなわけで、何でも『面白がって、楽しんでやりましょ・・』って・・そんなアンバイだから、いつでもどこでも、楽しくいられるといったわけなんですよ。

そうこうしているうちに、下町の生活にもすっかり馴染んで・・町娘と一緒になって子供もできて、すっかり町人をエンジョイしているそんな折、お家騒動もおさまって、お殿様はお城に戻らなくてはいけなくなる。

そういった顛末の末に、今度は町の人々と別れを惜しみながらも、再びお城に戻っていく・・。・・こういった物語は昔から映画や芝居にもなっていて、 我々もよく知っている話なんだけれども、

この「時代劇のドラマ」がかつて地球に追放され、人間を愛し、しばらくここで一緒に暮らしたあと彼らの惑星に帰っていった「実際にあった“ヘビ”と人間たちとのお話」と、なぜか自分の中でオーバーラップしてしまうんですね・・。

つまり“ヘビ”たちも地球に居たあいだは、町の中で楽しく暮らしていた殿様のように、彼らもまた人間たちと一緒に幸福に暮らしていたのではないだろうかと思うわけです。

まぁ、この“ヘビ”の史実がモチーフになって、こういったお城の物語が出来上がったとは思いませんが、地球に追放された“ヘビ”にしろ、お城から出されたお殿様にしろ、ここでスポットが当たるのは、環境や条件が変わろうがそこで幸福に暮らすことができるといった、その柔軟な“生き方”なんですね。

いわゆる無執着で少欲知足の、意識のカメラを無限小から無限大まで自由に動かして、そこから幅広く色んな喜びを見つけてそれを受け入れる『愛・慈悲のエネルギーと意識』を使った知恵ですよね・・時代を超えたそういった“幸福じょうず”でいられるワザを使うということが素晴らしいわけです。

まぁお殿様にしてみると、町のなかでもお城と同じような暮らしがしたいとか、お城と庶民との暮らしとを比べて良い悪い・好き嫌いと“わがまま”を言っても仕方ないわけで、フツーの町人そのものに“なりきって”、逆にその不自由さを楽しむ・・

ここで生活するのであれば、悲観して落ち込んだ気持で居るよりも、楽しく暮らしたほうがイイに決まっているわけですからね。幸福の青い鳥をわざわざ遠くまで探しに行かなくてもね(笑)・・“いま・ここ”に在るものから少しでも喜び・楽しみを引き出して、幸福を味わってやりましょうというのが、やはり賢い人間の生き方でしょうから・・。

そういった“いま・ここで”幸福に生きていくための知恵、云わば「生きる技」みたいなものをあえて『観照の作法』と言ったわけですが、この「お殿様の話」に似たようなことは、多かれ少なかれこの地球で実際に“ヘビ”が身をもって体験したのではないかと思うんですね。

そして、まぁそこで彼らも使ったに違いないこの“生きる知恵”とそのエッセンスが、後に仏陀に伝授された『四諦八正道』のノウハウにも少なからず反映されたのではないかと・・そういった処につながっていくのではないかと、まぁ勝手に思うわけなんですね。

つづく