無限 Part1

この世のすべては無限と無限の一部しかないわけですから、云うならばこの二つを合わせると「色即是空」といったことにでもなるのでしょうか。まぁ、古くから仏教徒にとっては仏陀を見習って「空・くうを知り、空・くうに生きる・・」というのが最終目標でもあるわけで、あらゆる方便・知恵を使ってここへと目指すのが定番になっているわけです。

この方便・ウパーヤというのはサンスクリット語で限りなく真実に近づくといった意味です。空が真実であり他はすべて方便だということ、しかも最大の方便というのは“知恵”なわけですから、その知恵でもって空・くう、つまり無限にアプローチしていくということになるわけですね。

まぁ、ですから方便というのもこれは大切なものでして、我々は無限の一部として生きているわけですから、最高の方便である知恵と云われるもの、まぁエロヒムもこれをひっくるめて“科学”と云っているんですが、その知恵でもって果てしなき無限にアプローチしていくといったあんばいですね。

これが知的生物である人間である我々の、無限の一部としての宿命でもあるわけです。あたかもそれは“無限”といった親磁石に、一片の磁石である我々“無限の一部”が引き寄せられるようにですね・・。

「空あるいは無限が真実」であって、「色あるいは無限の一部が方便」であるかのように云うわけなんですが、だからといって空・くうと色・しきのあいだに、つまり無限と無限の一部のあいだに境界線や特別な壁があるわけではないんですね。例えば、ゼロ・0という数字があるわけです。

ご案内のように、ゼロ・0は「無限」をあらわすこともできるし、またそれは「何も無・ない」ということをも表すここができるわけです。我々が日常で使っている数字、0から9まであるのなかで唯一0だけが真実と方便の両方を表すことができる数字なわけね。

つまり、我々はそのTPOにあわせて、ゼロ・0を「無限」あるいは「何も無い」を表す概念、文字・数字として使っているわけですよ。それに比べて他の数字1~9の役割と云うのは、方便だけを表す役割であるわけ。

つまり、ゼロ・0が「無限」をあらわす場合は真実ですからそれで当たり前なんですが、ゼロ・0が「何も無・ない」というのをあらわすというのであれば、まぁ、とりあえずは『今は何も無いですよ、ゼロですよ・・』ということで、ゼロは方便として使われているということになるんですね。

ゼロが方便として使われるというのはどういったことかと云うと、例えば、必要に応じて数学では100とか10000といった数字で使うわけです。

ここでのゼロ(空位)にしろ、あるいは「15+10=25」といった数式でのゼロといった使い方なんかもそうですね。ここでは、一の位の「5+0=5」といった場合のように、ゼロは「何も無い」という意味合いのゼロなわけです。

これらに使うゼロはあくまでも、計算するために我々の生活の利便のために、云わば方便として使われているにすぎないわけですよ。しかし何度も云うようですが、真実の「ゼロ=無限」というのは何も無いのではなくて、ありとあらゆるモノ、色とか方便とか云うものも、すべてのモノがそこに入っているわけですからね。

ご案内のように、そういった無限の様子を、無限といった存在のあり方を“空・くう”と云うわけです。空のなかにはこの空の字体が表すようにように空っぽで何も無い・ゼロというわけではなくて、無限に果てしなくあらゆるすべてのモノが、びっしり詰まっているということなんですね。

それならば、ゼロ・0のなかには1も当然そこには無限の一部として入っている。つまりゼロを方便としてではなく、無限=真実として観るならば、1=0(無限)ということになるわけです。少しややこしい話になってきましたが・・・。

まぁ、ここで話を少しすっきりさせようということで、これから1=0といった奇妙な数式が成り立つ“空”なる世界にご案内することになるわけなんですが・・。例えば、ここで少しイメージを膨らませていただいて、いったん無限の扉を開いて摩訶不思議なる空・くうの世界に入っていったとしましょう。

ただし、ここで忘れていけない事があって、それはこの空・くうの世界においては分別や知識、思考や主観といった一切の“常識”は通用しないという事なんですね。

空は全くの非常識・無分別・ボーダレスの世界ですから、そこだけを注意しなくてはいけないわけです。さて、限りなく無限に小さな世界の扉を開いて入って行く。その世界は地球の科学者が最少の素粒子だと思っているヒッグス粒子などは比較にならないくらいに極小な微粒子の中にある、とてつもなく広い宇宙です。

そこで、その中にある一つの銀河のなかの惑星のある場所を観ると、そこには小さなリンゴを1個だけ手にとっている自分の姿が観えるわけです。そして、そのリンゴをよく見てみると、リンゴのなかにある宇宙が透けて観えてくるんですね、水晶の玉のように・・。

不思議なことには、そのリンゴの皮・実・種のなかにも夫々に無数の宇宙が広がっていて、そこには同じような銀河があり惑星があるんですよ。更には、その惑星の中にあるどこかの国にはたくさんの農園があって、その農園の木々には無数のリンゴが実っているわけです。

同じように、今度はそこの農園の木にたくさん実っているうちの1個のリンゴの中をのぞいてみると、その実の細胞のなかの微粒子の中にも宇宙があり、その中の銀河の惑星のどこかの国の果樹園に実っているリンゴの中にもまた宇宙がある・・

そして、またまたそのリンゴの中にも・・∞・・といったあんばいで限りなくリンゴが連なっているのが観えてくる・・。つまり、「1個のリンゴのなかには無数のリンゴがある」ということが観えてくるわけです・・・

といったわけで、りんご1個=ゼロ・0=無限、1=0(無限)という摩訶不思議な数式が成り立ってしまうお話になるんですね。空においては、非常識・無分別・ボーダレスであり、常識は一切通用しないと云ったわけなんですが、常識や知識が良いとか悪いといったことではないんですね。

我々が日常社会で幸福に生きていくには常識といった思考あるいは知識・主観・規則といったモノは大切なものなのです。

ここではそういった社会的なレベルや個人レベルでの話をしているんではなくて、あくまでも空・くうのなかでの、無限のレベルでのことを云っているわけですからね・・・。

例えばリンゴが食べたくて、近くのスーパーか八百屋にでも行って、『リンゴ、1個ください・・』と言ったら、店長が倉庫にあるリンゴを山盛りトラックに積んできて、『はいどうぞ、1=無限ですので、ぜんぶ持っていってください・・』と言われても困るでしょ。まぁ、無限というのはこういったモノなんです・・・。

ここで一句

方便も 色もかくれる 空のなか