・・略・・そういったわけですから、「非プログラム化」の重要性を考えるならば、まぁ仏教あるいはラエリズムといった垣根を越えて、この「反応しない」といった技術・ノウハウを身に付けることは、おっしゃるように“基本”だと言えるかもしれませんね。
そういった事から前にも言いましたように、この「反応しない・・」をポイントに特化されたノウハウが、かつて‟ヘビ”から仏陀に伝授された。そして、それが仏教で長いあいだ、弟子から弟子に伝わってくるうちにカタチを変えられながら、現在の止観つまり「禅」や「観察瞑想」のシステムとして今に至る
・・ひいては、それが仏陀の云う処の原初の『八正道』の正念・正定にあたるものであると・・確かに、そのような考えかたもできるのではないかとは思いますね・・。
・・『官能瞑想』では、“反応しない”効用を「断食」に喩えていますね。つまり、反応しないことは「心の断食」みたいなものだということなんですね。
例えば、ご案内のように「食の断食」というのは、一定期間のあいだ一切の食を絶つわけです。つまり、食を絶っている間は体の内臓器官・細胞が食物とは「反応しない」状態ということなんですね。
反応はストップしているわけですから、その間は食べ物を消化・分解することに使われるべきエネルギーが、内臓の痛みや弱っている部分を修復したり、長年体内に蓄積されてきた“毒”を外に排出するといった事に使われるわけですね。
ですから、途中で食べてしまうと駄目なんですね。つまり食べる=反応してしまうと、元の木阿弥・・修復すべきあるいは毒を排出すべきエネルギーが消化・吸収に使われてしまいますからね。体の修復にもエネルギーは使われなくなりますし、自然治癒力もうまく発揮できなくなってしまう。
まぁですから、ここで辛抱して反応をストップ!する。「食べない=反応しない」というわけなんですね。それによって悪いモノが排出されて、我々が始めから持っている自然治癒力も出てくるようになり、そのおかげで健康を回復していくようになるわけです。
こういったように、食との“反応”をストップ!することによって、最終的には人間の健康回復につながっていくことになるわけですから、食の断食というのは、云わば“体”の「非プログラミング」ということになるわけなんですね。
「心の断食」もそれと同じようなものであって、我々の心のなかには長年に渡って溜め込んだ色々な悪い“毒”があるわけですからね。
要するに、そういった毒=悪いクセ・価値観を使った善くないプログラムを排出して、心を浄化して心の健康を取り戻しましょうと、そのために「非プログラミング」を積極的にやりましょうということなんですね。
まずそのためには、「食の断食」で食を断つように心のほうも、やはり闇雲に“反応しない”ということ。そして今までフツーに使っていた悪いプログラムは使わないこと。そういった「心の断食」=“反応しない”訓練が大切だということになるんですね・・。
・・そういったわけで、心の断食=“反応しない”ことの目的を云うと、第一には古いプログラムの整理整頓をして心の健康を取り戻す。
つまり、脳ミソ=コンピューターの調整・デフラグをして、色んな条件下でも落ち着いて考え、適切な行動ができるようにすること。 まず、それがひとつの大きなポイントになるわけです。
そして二つ目は、これがとても大切なポイントなんですが・・「食の断食」の後に味覚や嗅覚の感度が格段にアップされるのと同じように、「心の断食」の後というのは五感が強烈に感度アップされます。
訓練の流れとしては、この「非プログラム化」によって感受性の強化が計られ、次のステップである「再プログラム化」につながっていくわけですね。
この『官能瞑想』のシステムの素晴らしい処は、今まで眠っていた五感を蘇らせて、感受性を強くさせ、より鮮明に“無限”を感じさせようといった“もくろみ”がある処なんですね。
ご案内のように、我々は五感を通して“無限”を感じるわけです。感覚が鈍感で感受性が低調のままであるなら、それだけ無限を感じるのも薄れるというわけですからね。
五感をクリヤに鋭敏にして、大きく開いた快楽の扉から“無限”に入り込んでいきましょう・・そして、『“無限”を感じて、無限と調和していく・・』そういったノウハウを基調にした訓練をしていきましょうということなんですね。
そういったポイントが、「非プログラム化」から次の「再プログラミング」への橋渡しになっているわけです。
ここで云う「再プログラミング」の内容というのは 要するに、エロヒムが教える“官能”=五感の訓錬を積むことによって、更に深く無限を知り・理解するということです。それも単に知識としての理解だけではなくて、五感を通して“実感”するということですからね。
より深く無限を知ることになるわけです。官能瞑想で無限を繰り返し“実感”することによって、『自分はその無限の一部であり、“チリ”にすぎない・・』というホントの意味が解かってくる。そして、無限との一体感も段々と増えてくるようになる・・
そういったプロセスを踏んで、しだいに自分の考え方・価値観や嗜好も変わってくるわけなんですね。哲学の面だけでは無く、感情や情緒の面にも影響を与えるようにもなるわけです。
例えば、今まで好きだったものが嫌いであったり、善いと思っていたものが実は善くないものであったということも当然おきてくるわけです。
また、今までには無かった他人に対しての慈しみや同情心といったものも芽生えてきて、以前のように攻撃的批判的な気持ちが無くなってきたりもするわけです。そういった変化、プログラムの入れ替えが起きてくるのも当たり前なんですね。
それもこれも、今まで地道に行ってきた「非プログラム化」があってのことですし、それが基本になって次のステップである「再プログラム化」へと進んで行くわけですからね。
まぁそういったわけで、その「再プログラム化」へのステップのための「心の断食」は“反応しない”訓錬であり、それは「非プログラム化」でもある・・そういったハナシなわけです・・・つづく
ここで一句
反応が あとの苦楽の 別れ道